30歳でASDと診断をうけました。この記事ではASDの私だから思うASD側の話を書いていこうと思います。
ASDはコミュニケーションが苦手ということが特徴としてあげられるのですが、私は診断をうけた当時この特徴にあまりしっくりきていませんでした。
というのも、私自身そんなにコミュニケーションを苦にならずやってこれたから。
正確に言うと途中から苦ではなかった。という感じです。
今思い返すと過去の私は、特に学生時代などは、コミュニケーションが苦手で、学校でもわりとおとなしく過ごしているタイプでした。
ですが社会に出て大人になるにつれて、そんな自分を変えたいと思うようになり意図的にコミュニケーションを頑張っていた時期がありました。
気づけばその時期があったからこそ、現在はごく普通にコミュニケーションのやりとりができるので、むしろ、うらやましがられるぐらい、色んな人と関われるようになりました。
私はASDのいいところでもあるとおもうのですが、こだわりの強さがいいほうに働くときに、探求心がが爆発して自分の納得のいくところまで追求していく力があるので、できなかったことができるようになってしまう、なんてことがちょこちょこありました。
私のようなタイプのASDの方も世の中には多いと思うので、気づかれにくいいのが特に女性のASDのタイプだと思います。
いいように言うと、私の努力によって得た技術でした。
私はこれを技術という風に考えています。なぜなら私の頭の中では。話す相手によって、瞬時に色んなフィルターを介して、会話を行っているから。自由自在にフィルターを扱っていたのです。
おそらく定型発達の方たちにとってはここまで考えてコミュニケーションを無理に行うという事は仕事などの理由でなければしないとおもうのですが、私はこの考えが、仕事でもプライベートでも関係ありませんでした。
私の感覚ですが、女性のASDの方は、男性の感覚も女性の感覚両方持ち合わせている人が多いと思っていて何となく相手の感覚がわかるからゆえに、相手が求める言葉が言えたりしませんか?
コミュニケーションは相手をよく観察して相手の話を優先してあげる事が大切。男性の自慢話は沢山聞いてあげて沢山質問で返す。女性の愚痴は沢山共感してあげて、「大変だったね」と言ってあげる。
ASDはルールが好きな人が多い。そしてグレーに考えることが難しい。私はこのルールに基づき嘘の人間関係を端から端まで作りすぎてしまって自分自身が苦しくなりました。
これは過去の私の話ですが、ASDの私は、自分の気持ちは置いてきぼりに技術だけ身につけていってしまった為に、嘘の自分にまた自分のこだわりが反応してしまう。そんな悪のルーティンに足を踏み入れてしまっていました。
どういうことかというと、
自分で嘘の自分を作っったけど、その幅もコントロールすることができくて、(全ての人に対してそうなってしまう)
更に、嘘の自分ではよくないというまた別のこだわりが騒ぎ出しって結局コントロールができなくなってしまうという感じ。笑
自分で説明していても良くわかりません。笑
とにかく常に白黒思考で極端なので、なにごともやりすぎてしまうか、その全く逆か。というのがASDの人の特徴です。
このように無意識に無理を重ねていてしまうのでストレス過多になってしまうし、あたまの中はごちゃごちゃ。
足し算ばかりではなく、途中途中で引き算をしてあげることも大事なんだと学びました。
この経験を得て、過去の自分に言いたいのは、出来るようになりたいから努力する姿勢は大事だけど、本来のコミュ障の自分でいても安心できる人間関係は作れるという事。
自分らしくいるのが1番です。
「自由自在のフィルター」は使えるけど時々しか使わない。
それがわたしの現在です。笑


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