ASDである私が思う生きづらさ。とは。
発達障害によく関連していわれるのが「生きづらさ」。この記事では生きづらいとはどういう事なのか、30歳でASDと診断を受けた私の目線から思う生きづらさについて掘り下げてみたいと思います。
私に関しては、診断を受けてから2年ほど経過して、「生きづらい」とはどういうことなのかが何となく見えてきたのが最近です。そんな私が思う「生きづらさ」とは。。。
- そもそも生きづらいと気づいていなかった!
大人になって発達障害と分かった方のなかには、私のような人はいませんか?
というのも大人になって診断がつくタイプの発達障害の方は自分から見ても、周りから見ても特性がわ分かりにくく、自覚にも遅れるし、何となく我慢が出来てしまうので、「このくらいなら大丈夫」そんふうに生きづらさに目が向きにくく、軽視してしまうことがあると思っています。
そんな生きずらさなんて人それぞれあるし、それぐらいなら発達障害があるなしにに関係ない。
そんな風に思う方もいるかもしれませんね。
しかし発達障害の生きづらさとは本人、周りも自覚しないうちに症状が悪化していき突然、二次障害であるうつ病や、精神疾患を発症してしまうというケースも多い。
自分自身の自覚も遅れることや、ASDはこだわりも強い特性があるので何ごとも真っすぐやりすぎてしまい、気づいたころにはもうボロボロになってるなんてことも。
ASDにとっては間をとるというのが難しいくて、100でやるか、やらないか。という感じで極端な考え方をしてしまう人が多いので抱えることが増えてしまい、うまくペース配分ができないといった問題があげられます。

ペース配分をしなきゃいけない。そこに集中すると、他のことができなくなっちゃう。そしたら職場では使えないやつだと思われるでしょ?頭ではグラデーションも大事だと分かっているけど、分かっているけど、できないんです。。。
ASDの人でも、社会で生きていくために、それなりにプライドをもって頑張ってる人も多い。特に協調性を求められる日本では周りがばりばり頑張る人だらけだったら、自分だけできないなんてさぼるわけにはいきませんよね。そんな体育会系な社会を生きてきた大人の発達障害の方たちにとって自分のできないことに目を向けるのは難しいですよね。
- コミュニケーションが苦手
ASDはコミュニケーションが苦手というという特徴があります。相手を客観視することが難しかったり、自分自身のことも客観視することも難しいです。
一概には言えませんが、想像力にかけるというか、何事にもグラデーションがないので、極端な予測で周りを判断したり、自分自身のことも判断します。
それがいいほうに向くこともあれば、悪いほうに向くこともある。

コミュ障って感じてなかったけど、人と話さなくていいならそのほうがずっと楽だなぁ。今まで無理してたんだわたし、、、。
- 分からないから育たない自己肯定感
現代のように発達障害の情報があふれていたわけでもない。
そんな時代を過ごしていた大人の発達さんたちにとっては、自分の事も分からないままに大人になり、「自分がわからない」なんて考えたことのある人はいませんか?
情報がない。知らない。そんな中で自分を知っていくのは難しい。自信をつけたいと努力を重ねてきた人も多いはず。ですが自分を知らないと、努力する方向性を間違えてしまいまた苦しい選択を自分自身でとってしまいます。
発達障害を知ってから過去の自分と照らし合わせていく事でようやく時間をかけて完成するのが
大人の発達障害の「自己肯定」
自分の生きらづさに気づくのは自分を知ってから。今まで頑張ってきたことに気づけるようになります。
ようやく自分を認めることができて、相手も周りも認めることができます。
沢山時間はかかってしまうけど、頑張ってきた分だけ生きやすい未来がやってきます。

ASD得意の探求心で自分を分析してみるにもおススメです。新しい自分が知れて答えが分かっていく作業はASDにとっては楽しめることだとおもいますよ!
ま と め
- そもそも生きづらさに気づいていない
- コミュニケーションが苦手
- 分からないから育たない自己肯定感
簡単に言えば不器用さんと思われるかもしれませんが、頑張り屋さんで、努力家な方も多いのが大人の発達さん。中身は繊細で傷つきやすいのが本音。自分がそれに気づいて導いてあげるのも大人の発達さんだからできることです。自分の特技や好きなことを知ってその環境に自分の身を置いてあげる。そこでやっと才能を開花させるのが大人の発達さんだと思っています。きっとまだまだ才能が沢山眠っている。そんな発達さんがイキイキ自分らしさを見つけ羽ばたいていけますように^^



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